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<後篇>ソープランド店長から、人力車夫へ。殴られても人力車を引き続けた、岡崎屋惣次郎の軌跡。

2018/04/11

■浅草と、岡崎屋惣次郎の20周年。「浅草is old」を「浅草 is new」へ変えていきたい。

—今年で20周年を迎える岡崎屋さん。心境の変化はありましたか?


昔からのお客様に挨拶状配って回っていたのですが「若い人に占領されてやめちゃったかと思ったよ。良かった」なんて声をかけてくださる方も多くてほっとしましたね。


人力車の業界にはISOのようなものはありませんが、うちの会社は大手と渡り合っていけると思っています。それは、自分がいろいろな業界を見てきて世の中のことがわかっているという「信用」があるから。「岡崎屋に頼めば企画にあったものをつくってくれる」という信用商売なんですよね。20歳で雷門の世界だけを経験していたらそんなことはできない。30歳でこの業界に入ったのが一番良いタイミングだったと思っていますね。

—岡崎屋さんと共に、浅草はどのように移り変わっていったのでしょうか。

昔はマンションが林立することに危機感や抵抗感を覚える市民が多かったようで、「マンションに住んでいるのは浅草市民じゃない」という声もありました。子どもたちの遊ぶ声や行商人の声が聞こえるところに住んでいないとだめで、2階以上は浅草じゃないというくらい昔は排他的だったんです。例えば仲見世。仲見世の中枢は浅草以外のところに貸さなかった。貸そうとすれば「カス」と周りから怒られるような時代でした。それが今は「儲かれば良い」という風に変わってきたんですよね。新宿渋谷に比べたらその進みが遅いから若い人がしっかりしてこれからの浅草をつくりあげなきゃいけないと思います。

 

「浅草is new」が「浅草is old」になり、年配者が昔を懐かしんで来る街と化していますが、その時代にも終わりを告げようとしています。なぜなら、浅草の黄金期を知っている年配者も年を取っていなくなってきているから。

これから過去の浅草にはすがれないから、スカイツリーのような新しい建造物なんかを大事にして「浅草is new」に戻していく動きを取らないといけないと思います。そのためには「渋谷・表参道が流行の発信地」だなんて言ってないで、「日本初のものは浅草で」という情報の発信源になっていくべきです。観光客を招致したり、新しいことはどんどん取り入れた方が良い。

浅草はどこか年功序列が残っていて、年寄りがいるとずけずけいけない町のようになっていますが、そんなことばっかり言ってたらだめ。

僕らが老人になった時に、若い人の言うことを聞いて、変えて、浅草のしきたりや綿々と続く歴史は残しながら、新しいことにチャレンジできたらいいと思います。

■個人プレーで、弟子は持たない。けれど、僕が関わることで浅草全体のためになったら、嬉しい。


これから挑戦したいことはありますか。

僕は「浅草の街全体や、人力車業界を変えてやろう」とは思わない。個人プレーだし、みんなで徒党を組んだりはしません。弟子も持たないスタンスです。
でも、自分が取り組んだことが、結果的に回りを良くすることに繋がればいいとは思っているんですよね。

ある時、人力車のオーナーから木の車輪でできた人力車を預かったことがあって。「みんなに木車輪を知ってほしい」という思いから、鉄車輪の人力車に連結させて三定の前に持って行き、説明書きと共に観光客に見せていました。
それをたまたま目にした浅草セントラルホテルの重役が「うちに展示させてくれないか」と話をくださって、1Fロビーでの展示が決まったんですよね。

木車輪の人力車はオーナーに返してしまったのですが、今は代わりに戦後都内を走っていた現存唯一の輪タク(福田式フライドカー)や、江戸時代に使われていた権門駕籠(けんもんかご)といった昔の珍しい乗り物を自ら改修し、展示しています。
 

あとは、戦災樹木を子ども達に向けて講談調で伝える運動にも取り組んでいます。浅草寺は人力車が大嫌いだから、「人力車やはんてんはNG」という厳格な決まりがあるのですが、講談調での語りはOKが出ているので。

岡崎屋惣次郎が浅草に住んでいることで、そういった浅草の古き良き文化を感じられる場所が増えたらいい。結果的に、それが浅草全体のためになったらいいなと思いますね。
僕を育ててくれた浅草には本当に恩義を感じているので、30周年、40周年を迎えるにあたっても何かしらの形で恩返しがしたいです。

<編集後記>
パワフルで、ユーモアに溢れた人力車夫、岡崎屋惣次郎さん。常にチャレンジし続ける姿勢と、キラキラ輝く瞳は、まだまだ現役そのもの。
彼の背中を見て、自分もついてゆきたいと思わされる。「変わりたい」と言っているうちは、変われないのかもしれない。動いて、見えてきた景色と共に、走るだけ。
人力車だけでなく、浅草を牽引してゆく力を持つ人物。それが、岡崎屋惣次郎。漢の中の、漢である。

 

 

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この記事を書いた人

ふつかよいの タカハシです。

ふつかよいのタカハシです。三度の飯より酒を愛しています。
イッセイミヤケの販売員を経てアパレルメーカーの営業職に転職、その後フリーライターに。
COREZO!ASAKUSAを通し、ディープな浅草の魅力を発信していければと思います。
Twitter:f_y_takahashi