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浅草から世界 人力車夫・冒険家 阿部雅龍さん(前編)

2018/02/10

 浅草って、どんなイメージですか?下町?雷門?外国人の集まる観光地?――――でも、それだけではないのです。多くの老舗が伝統を伝える一方、新しい挑戦者も集う。古さと新しさが繋がる街、それが浅草です。

特に、浅草には多くの文化人を輩出した歴史があります。今もなおこの地に育まれ、経済、カルチャーなど新ジャンルで活躍する人は少なくありません。そんな「浅草人」の魅力にスポットを当てていきます。

 

 

 アマゾン川、ロッキー山脈、北極…。冒険家・阿部雅龍さん(35)は、世界中で極限の旅に挑んできた冒険家だ。一方、彼には浅草のベテラン人力車夫というもう一つの顔もある。浅草で観光客と過ごす非日常と、一人きりで荒野を行く非日常。二足の草鞋で2つの世界を歩く彼にとって、冒険とは、浅草とは何なのかを聞いた。

(COREZO!ASAKUSA編集部 服部良祐)

 

 

【第1回・前編】
「冒険とは自分を表現すること」

 

 「冒険とは自分を表現すること。ゴールには誰もおらず、誰からも褒められず、お金も減る。でも、自分らしくあることができる」。冒険家にして浅草の人力車夫、阿部雅龍さん。

大学休学時に南米を自転車で縦断したのを皮切りに、卒業後ずっと、車夫の仕事や後援会などを通じて活動資金を貯め、世界中を冒険する生活を続けてきた。

 「体力とノウハウ、そして知識があれば人間は生きていける」が信条。特に、冒険家の師、大場満朗さんにならい、基本的に一人で様々な冒険を踏破してきた。

 

 

 2012年、アマゾン川を筏で川下った際は強盗に襲われる恐怖、そして海のような広大な自然と戦う毎日だった。銃で襲われた知り合いも多く、筏の上の小屋では常に「最悪のことを考えて」自衛用のナタとヌンチャクを用意。幸い襲われることはなかったが、1メートルもの大波やスコールに悩まされる。マラリアにかかり、緑色のようなものがクルクル回る幻覚、幻聴にも苦しめられた。

 3回も行った北極では、1~2か月風景の変わらない中、ソリをひたすら引いて歩いた。1回目の北極では、食料の一部を谷間に落とすはめに。残った食料のカロリーと体脂肪の量を計算してギリギリ死なずに踏破できると判断し、最後は飢餓状態で何とかゴール。500キロを歩いた結果、体重は8キロ減った。別の機会で北極を歩いた際は、ホッキョクグマに襲われてテントを破かれたこともある。「何度も死にかけた。極端に言えば、生きていればラッキー」とほほ笑む。

 

 

 冒険家を本格的に志したのは大学生のころ。やりたい仕事も、大学院で学びたいこともない中、子供のころからくすぶっていた冒険家への思いが再燃した。「今やらなかったことは一生後悔する」。大学を休学し、あこがれていた冒険家の大場さんが運営する自然学校に転がり込み、冒険家としての考え方を学んだ。その後、アルバイトで資金を貯めて南米を自転車で縦断。冒険家としてのスタートを切った。

 大学卒業後、本格的に冒険家をするため、あえて飛び込んだのが浅草での人力車夫の仕事だった。資金調達だけが目的ではない。南米を旅する中で、「外国に行ったら、自分の国のことを説明できるようにならなくてはならない」と痛感した。おりしも南米で出会った人から人力車夫のアイデアをもらう。当時はまだ珍しい仕事で、浅草も修学旅行で来たくらいの縁だったが一も二もなく飛びついた。

 

(後編に続く)

浅草から世界 人力車夫・冒険家 阿部雅龍さん(後編)

 

 

【阿部雅龍(あべ・まさたつ):プロフィール】

 秋田県出身。秋田大卒。35歳。人力車夫を続けながら冒険家として活躍。人力での冒険距離20,000km以上。南米自転車縦断(11,000km)、北米大陸ロッキー山脈縦貫トレイル踏破(5,400km)、乾季アマゾン川いかだ下り (2,000km)、カナダ北極圏徒歩(500km)、カナダ北極圏徒歩(750km)、グリーンランド北極圏徒歩(750㎞)、人力車全国一宮参拝(6,400km)。

 

阿部雅龍 - Wikipedia

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この記事を書いた人

服部 良祐

1983年東京生まれ。