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<中編>ソープランド店長から、人力車夫へ。殴られても人力車を引き続けた、岡崎屋惣次郎の軌跡。

2018/04/11

「雷門の客引き」状態が、オフライン上にも。ネット時代の濁流に危惧を感じる。
 

—殴られたり、客引きが勃発したりと大変なことも多かった印象ですが、他に苦労したことはありましたか。
 

僕が雷門の客引きから脱退してHPを作り始めた頃は、誰もそんなことやってなかったんですよね。特徴的な仕事が多かったから、大手のHPよりも検索率が高かったこともあった。その時は良かったですが、今は状況が変わりつつあります。10年の間に名声が先走りして、インターネットで調べなくても「人力車といえば岡崎屋」と世の中に知れ渡るくらい努力すれば良かったのですが、そうはならず時代の波に追いつかれてしまったことです。

今はたくさんの人がインターネットをやっていて、SEO対策もしっかりされている。ここ23年くらい前からモバイルフレンドリーの時代になってきており、グーグルで「人力車」と検索しても、九州や金沢の業者が先に出てくる状況。仕事が入りづらくなってきていますね。

この商売は芸術などと違い、「誰がやっても人力車は同じ」という世間一般の考えがある。客引きはその最たるもので、1日吟味して乗る人はいませんよね。その場のフィーリングで決める。インターネットでも検索で引っかかった安い業者に決めるお客様が多く、雷門の客引きと同じ状況がネット上でも起こっているなと。このままインターネット競争の濁流に飲み込まれていくのかな、なんて危惧しています。
後は、出張帰りに粉砕骨折したことですね。

  

  
■アイディアで勝負!「半歩先に行く」岡崎屋イズム

—「特徴的な仕事が多かった」とのことですが、具体的には?

僕は自分のことを、人の半歩先に行くアイディアマンだと思っています。いつも他の人と違うことを考えて、絶えず挑戦してきました。

 

例えば、人力車に広告をつけて走らせる「アド人力車」を考案。業者に委託して開発すると4〜50万かかりますが、自分が開発したものであればもっと安価にできる。それをうちの武器にして、販促イベントの際、クライアントにアドを販売し、人力車につけさせていました。別の人力車の会社から「おたくのアド、販売してくれない?」と声がかかることもありましたね。

 

後、ただ年号を羅列するガイドが嫌いだったので、情景で時代背景を伝えられるような「講談人力車」をしていました。
 

それから、猿に人力車をひかせていました。人力車を引っ張るって猿にしたら簡単なことですし、芸を覚えなくてもそれだけやってくれればいいなと。北海道から沖縄まで、猿と一緒にアド人力車でまわっていました。始めてから3年間は猿と寝食を共にし、出勤から帰宅までずっと一緒に過ごしていましたね。ある時、練習で浅草寺の境内を歩いていたのですが、それは名物になりました。

 

▲最近は、全身白タイツで馬の格好をして馬車を引くイベントに参加。
 

プライベートでも、浅草・雷門2丁目界隈に降った雪を全部かき集めて子ども達にかまくらを作ったんですよ。朝起きたら近所の人が「雪がない」と言っているくらい(笑)。その過程を実況中継する動画も編集しました。
遊びを提供する仕事だから、これくらいのことは朝飯前でやれないと。お客様からコメントを振られた時には面白い答えが返せないといけないしですしね。「自身のアイディアを活かして仕事に取り組む」という考えがない人は、他の人と一緒。そこそこで苦労して、終わってしまうと思います。

 

いつどこに行っても、おもしろいことを考えて、動く。それは常に心がけていますね。そして、誰かがやろうとした時に僕はもうそこにいない。それが、「半歩先に行く」ということです。

 

 

おばあちゃんとの絆、棺に入れた東京ツアーの写真。色褪せずにずっと、残ってゆく。

—数々の仕事に取り組まれてきた岡崎屋さん。人力車夫になってから、1番印象に残ったエピソードを教えてください。


とあるおばあちゃんから「浅草の木馬館にお芝居を観に行くから、人力車に乗せてほしい」と言われて現地まで連れて行ったら、「終演時間にも迎えてきてほしい」と。
道中、よくよく聞いたらそのおばあちゃんは余命半年を宣告されていて。

「今までずっとお芝居を観ていたけれど、人力車がこんなに面白いものなら、残りの人生は人力車に乗りたいわ」とご要望をいただいたので、「じゃあ、東京1周ツアーをしましょう」と提案して『人力車で巡る東京1周ツアー』を敢行しました。
巣鴨の刺抜き地蔵や、富岡八幡宮にも行きましたね。
「次は柴又に行こう」とお話していた矢先に亡くなったご連絡を受けて。お葬式の際は、東京1周ツアーで撮りためた写真を棺の中に入れました。
後にも先にも、印象に残っているエピソードですね。そのツアーは、今も続けています。


▲岡崎屋さんは、常にお客様に笑顔を届け続ける。


 

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この記事を書いた人

ふつかよいの タカハシです。

ふつかよいのタカハシです。三度の飯より酒を愛しています。
イッセイミヤケの販売員を経てアパレルメーカーの営業職に転職、その後フリーライターに。
COREZO!ASAKUSAを通し、ディープな浅草の魅力を発信していければと思います。
Twitter:f_y_takahashi